武器としての・・・(3)
確認した中で、最も古い「武器としての・・・」本は、
そう言えば、学生の頃、書店で見かけたような気もします。
社会体制や仕組みがもたらす不条理に対して、「笑い」を
庶民の武器として立ち向かおう、と言った内容です。
この後に「武器といての」本はしばらく途絶え、本格的に
復活するのは2015年頃で、2018年から急にブレイクします。
しかし、内容は様変わり・・・。
社会の武器ではなく個人の武器(ビジネススキル)を身に着ける、
或いは武器を磨く内容が主となってきます。時代の流れですね。
社会的な関心が薄れ、自分に対する関心の方が強くなってきた
変遷を見事に現しています。
そもそも、なぜ「武器」を持つように意識付けるタイトルなのか、
しかも「としての」と続ける意味と効果、読み手が受けるイメージは
どんなものなのか?
「武器」は、これから戦闘開始をメージさせるかなり強い言葉ですが、
一方で「としての」は、対象を客観的に捉える、或いは限定する言い回しで
武器のイメージを和らげている印象があります。
この組み合わせは、もったい付けた言い方で個人的には好みではありませんが、
購入者には何らかの購買意欲をそそそるものがあるのでしょう。
また、編集者は何を狙って、「武器」、「としての」とタイトルを付けるのか?
次回以降、考えてみたいと思います。