武器としての・・・(3)

確認した中で、最も古い「武器としての・・・」本は、

 

飯沢匡 著「武器としての笑い」(岩波新書、1977年)

 

そう言えば、学生の頃、書店で見かけたような気もします。

社会体制や仕組みがもたらす不条理に対して、「笑い」を

庶民の武器として立ち向かおう、と言った内容です。

 

この後に「武器といての」本はしばらく途絶え、本格的に

復活するのは2015年頃で、2018年から急にブレイクします。

 

しかし、内容は様変わり・・・。

社会の武器ではなく個人の武器(ビジネススキル)を身に着ける、

或いは武器を磨く内容が主となってきます。時代の流れですね。

社会的な関心が薄れ、自分に対する関心の方が強くなってきた

変遷を見事に現しています。

 

そもそも、なぜ「武器」を持つように意識付けるタイトルなのか、

しかも「としての」と続ける意味と効果、読み手が受けるイメージは

どんなものなのか?

「武器」は、これから戦闘開始をメージさせるかなり強い言葉ですが、

一方で「としての」は、対象を客観的に捉える、或いは限定する言い回しで

武器のイメージを和らげている印象があります。

この組み合わせは、もったい付けた言い方で個人的には好みではありませんが、

購入者には何らかの購買意欲をそそそるものがあるのでしょう。

 

また、編集者は何を狙って、「武器」、「としての」とタイトルを付けるのか?

 

次回以降、考えてみたいと思います。