武器としての・・・(4)

1週間、間隔が空いてしまったけれど、続けます。

 

なぜ、「武器としての・・・」本がこれだけ増えたのか?

 

その前に、なぜ私がこの現象を調べる気になったのか述べます。

まず、気になったのは「武器」と「としての」の二つの言葉が並ぶことの

居心地の悪さ。

「武器」は戦いの道具だけれど、「としての」と続けると途端に他人事に

なってしまい、いざ勝負の気持ちが萎えてしまう。(意図的に客観化している)

まるで、床の間に飾られる日本刀のよう。

 

また、武器は身につけるだけでなく、使いこなせなくては意味が無い。

日本刀は、剣術の修業を経て初めて本当の武器になる。

此のタイトルだと、修業はパスして身につけることで満足してしまいそう。

 

それなのに、次々「武器としての・・・」が刊行されるのはなぜだろう?

 

続きは次回。